新自由主義―その歴史的展開と現在
「新自由主義」、「ネオリベラリズム」はたまた、「ネオリベ」などと言われるこのワード。これが、「格差社会」や「ナショナリズムの台頭」、すなわち現在の日本の政治経済過程と何らかの関係があるのでは?ということは、昨年あたりから少しずつ広まり始めたように思う。
著者ハーベイは、この新自由主義を「教義」と「実践」に区分し、両者の総体として捉えている。事実、新自由主義改革を採用した諸国は、「市場原理主義的教義」にもとづいて論じられているようには、とりたてて経済成長しているわけではないし、そして、国家はなくなるどころかますます強力になっているように見える。そうすると何故、新自由主義改革はあまねく世界を覆ったのか?ハーベイは新自由主義の「実践」を「富裕階級の権力回復のプロセス」と捉え、アメリカ、イギリス、ラテンアメリカ諸国、中国、旧社会主義圏などそれぞれの国の歴史的条件に規定されながら、新自由主義改革によっていかに階級的な諸力が変化していったか、その「30年の歴史」を、明らかにしていくのだ。つまるところ「成長」ではなく、あくまで「金持ちの分け前を増やす」ことが新自由主義の本質なのだと。
本書が面白いのは、新自由主義を「グローバル化」論一般に収斂させず、地理的に不均等なプロセスと捉えることで、概念の豊富化に成功していることだ。大きなパラダイムと具体的な事実とをバランスよく論じることで、読んだ人間が具体的に新自由主義の問題を考えていくうえでの有効な視座を与えてくれているように思う。
「新自由主義」という概念は、これからも政治・経済・文化を考えるうえで鍵になっていくだろう。本書は、その参考になるだけの豊かな材料と枠組みを提供していると思う。
レジェンダリーコレクションズII
腰を抜かしました。
なんというSAXセクション、なんという音圧の金管。
ド安定のパーカッション、艶のある木管群の音色。
その片鱗は1トラック目のグールドから伺えます。
このレベルを10年維持することが如何に難しい事か。
学生諸氏の気も遠くなる練習のたまものかと思います。
演奏旅行等の演奏も当時は異次元でした。
上埜先生の体調がすこぶる心配ですが、もし常任指揮が
交替されても、伝統を維持して頂く様勝手ながら
お祈り致します。
P.S.
著作権の関係でストラヴィンスキーの音源が
収録できないことが残念です。
駒沢あたりで '78年度作品
オリジナルLPは1976年7月25日にテイチク、ブラック・レーベルから発売。加川良6枚目のアルバムです。ベルウッドから出た『アウト・オブ・マインド』で聴いた心地よさがこのアルバムでは全開です。レイジー・ヒップとの競演で、ギターを抱えて唄う良さんの舞台が見えてくるようなアルバムに仕上がっています。標題曲「駒沢あたりで」は、教訓に始まった加川良の歌の世界が、ここまででずいぶん変わったように聞こえて、でも、よ〜く聞くと初めからこうだったんだと気づかされる一曲です。「女の証し」も「オレンジキャラバン」も「祈り」も、全ての曲が優しさに包まれています。しかも、バンドのサウンドもしっかりしていて聴き応え充分です。
一度CD復刻されたものの、品切れ状態が続き永らく入手困難でしたが、テイチクからこのアルバムを含めて3枚が復刻され、(しかもリマスタリングで、)良さんの歌声に再び出合えることになりました。あとはNEWSレーベルから出た『プロポーズ』の復刻が期待されます。あわせて、レイジー・ヒップの復刻も是非。
「駒沢あたりで」のみ作詞・作曲:菊田修一、ほかは全曲:加川良作詞作曲。
レイジー・ヒップ:長田和承:GUITAR
安田直哉:GUITAR
岩本千秋:VOCAL
菱川英一:KEY BOARDS
山本正明:BASS
野口実智男:DRUMS
駒沢あたりで
1曲目の”女の証”この曲だけでも十二分に彼の説得力のある作品ですが全曲すばらしいです。加川良のアルバムで一枚だけと言われれば”コスモス”のある『プロポーズ』もいいけど、こちらの方が良いかな。
語るに足る、ささやかな人生 (小学館文庫)
文庫版は、持ち歩いてふとした時にぱらぱらめくるのにいい。
アメリカのなんでもない小さな町にこそ、実はアメリカ的なるものが存在している。
そんなスタンスで、幾つもの風景が描かれているのだけれど、ぱさぱさに乾いたようなハイウェイ沿いの町の様子が不思議と懐かしい。
ふらっとアメリカに行ってレンタカーを借りて、ハイウェイを走らせながらモーテルを探してみたくなる。
文庫の紙質が薄っぺらくて、活字の組み方が寸詰まりなところまでペーパーバックふうなのは、好みが分かれるかもしれない。
わたしには少し読みづらい。